モカ日記
 
セルフカタルシスブログ
 

簡単ファイル共有の時計付きファイルマネージャ―


過去の日記から

種を蒔く人

〈2000年11月22日の日記から〉

種を蒔く人が種蒔きに出ていった
蒔いている間にある種は道端に落ち
鳥が来て食べてしまった
他の種は石だらけで土の少ないところへ落ち
そこは土が浅いのですぐ芽を出した
しかし日が昇ると焼けて
根がないために枯れてしまった
他の種は茨の間に落ち
茨が伸びてそれをふさいでしまった
ところが他の種はよい土地に落ち実を結んで
あるものは100倍
あるものは60倍
あるものは30倍にもなった

マタイによる福音書13.3-8

------
またもや聖書からの抜粋。
以前他のサイトでちょっと書いたのだけどこういうたとえ話が好きだ。
聖書では御言葉を受け入れる心の状態のことを言っているわけだが
意味はそれだけとは限らず何とおリにも解釈し、人生の中で膨らませる事も出来る。
このたとえ話を思い出すたび、私は自分の心の栄養状態をを確認するのです。
幼稚園の時はこのお話が絵本になっていました。



9月12日(月)19:09 | コメント(0) | 過去の日記から | 管理

愛の形

〈2000年11月16日の日記より〉

テレビっ子なネタ。
「アンビリバボー」をてみたら、久々にグッサリやられた。
ドイツ人の医者と患者エレナのお話。
名前忘れちゃったんだけど、
そのお医者さんはアメリカで仕事をしていて、
たまたま来た患者さんエレナに一目ボレしちゃうわけです。
彼女の病気は肺結核で、当時はこれといった治療法がなく
死の宣告に近い病気として恐れられていました。
そんなだからエレナの旦那さんは感染を恐れて出て行ってしまって
治療に来なくなったエレナを心配に思ったお医者さんは
彼女の自宅に様子を見に行ったりして、治療を施して励ましてたのです。
そんな彼にエレナもひかれていき、互いに愛するようになりました。
さらに彼女の家が貧しい事を知って治療費は一切取らなかったので
不審に思ったエレナの父親はそんなうまい話しがあるか!邪な気持ちがあるんだろ!
と医者を追い出してしまい、他の医者に見せてしまったのです。
その結果処方した薬があわず状態は急変。
お医者さんは父親から逃れるべくエレナを連れ出したのでした。
それから9年後彼は彼女の夢だった南の島に家を建てて暮らしていましたが、
ついにその場所をエレナの父親に見つかってしまいます。
もうこれ以上は逃れられないと彼は父親をエレナに会わせる事を決意しました。
そしてエレナを見た父親は愕然。それは死後9年経った娘の遺体でした。
本当は薬によって状態が悪化したその時にエレナは既に息を引き取っていたのでした。
医者の彼は、エレナの死を受け入れられなかったのか、
ホルマリン漬けにし、防腐処理を施し、彼女をきれいな状態で残そうとしたわけです。
当然捕まって精神鑑定を受けさせられたわけだけど、
異常は見とめられず、それどころかアメリカ国民の感動を誘い
この2人の壮絶な愛の物語はラジオドラマとして全米で流されたほどだったそうな。

う~む。これはいくつも条件が重ならないと不可能な事だわ。
医者じゃなきゃこんな事出来ないだろうし。
何よりこれを受け入れられるアメリカの国民性は大きいだろうなあ。
愛ってなんだろうね?
愛する人を失った時に何が出来るか…
それは人それぞれ、思いもそれぞれ
こんな愛の形があっても良いのかもしれない。



9月11日(日)19:06 | コメント(0) | 過去の日記から | 管理

無題

〈2000年11月13日の夢日記から〉

懐かしくて恐い夢だった。
昔毎日の様にバスで通っていた道が出てくる。
見なれた道でもそこから小道へ枝分かれしてしまえばまだ見ぬ道だ。
そこを奥の方へ歩いて行く。誰かの家を探している様だ。
重くて嫌な空気が漂っていて、昼間なのに恐怖心が付きまとう。
見えるのはごく普通の家と古いアパート、草が生え放題の空き地。
その先には何があるのか、どうしても見れない。
特に恐怖をあおるようなものが出てくるでもないのに、
何故かいや~な感じがして引き返す。

場面は次々に変わり、客寄せのお姉さん、
盛り上がらないパーティーと帰るお客。
許しあう家族、旅に出る準備。



9月10日(土)10:05 | コメント(0) | 過去の日記から | 管理

書を捨てよ街へ出よう

〈2000年11月10日の日記より〉

街を歩けばクリスマスにあたると言った感じだ。
気の早い店などは10月からクリスマスの装飾が準備されていた。
普段近所でばかり生活しているので、たまに出歩いてみると色々な発見がある。
商品アプローチのための照明の当て方1つにしても学ぶところが沢山ある。
何より街を肌で感じる事が感性に訴えかける刺激となる。
室内で参考文献を読みあさったり、ディスクトップを駆け巡る資料を追うだけが学習ではない。
創作意欲や、ちょっとした機転へのきっかけがあらゆるところに眠っているわけだ。
人に出会う事も楽しみの1つだ。いつも行くお店で出会った人が案外近所に住んでいたり、
同じライブを見に行っていたり…帰りのバスで、もと同級生とばったり出くわしたりと偶然は重なる。
人との繋がりの不思議さを感じつつ、人と触れる事で自分を見つめなおす事が出来る。
しかしながら今の自分は書を捨てられるほど本を読めているわけではない。
できる事なら時間をとめて本を読み耽ってみたい。
あの言葉を本当の意味で言えるようになるには、まだまだ年数がかかりそうだ。



9月9日(金)19:55 | コメント(0) | 過去の日記から | 管理

アート写真研究会の夢

〈2000年11月8日の夢日記から〉

プレハブのような平屋の建物に人が集まってくる。
メンバーは6人程度。私はその中の一人だ。
皆社会的に受け入れられないタイプの人間で、
ここに来ると不思議と安心感を憶えるのだ。
集まりは悪いが、好き勝手に活動は行われる。
互いに被写体になったり、カメラマンになったりして
アート写真を作る。
今日は3人しか集まらず、私は被写体役だ。
もう1人男の人と一緒に作られた世界を演じる。
そしてそれを撮るカメラマン。どこか篠山紀信っぽい。
いつもカメラを向けられる事が苦手なのに、
なぜか凄く気持ち良くて、自然と演技に入れる。
自分の嫌な部分は何処にもなくて、
違う人物になったような気持ちだ。
出来あがりが見たかった。



9月8日(木)23:50 | コメント(0) | 過去の日記から | 管理


(2/4ページ)
最初 1 >2< 3 4 最後